今目の前に有り余る「当たり前」の存在に気づけていますか?

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こんにちは。こんぽたです。

本日は、日々の生活の中で忘れがちな、当たり前な要素について、話していこうと思います。

あなたは最近感謝していますか?

感謝というのは、相手に何かしてもらったときにするもの。と教わり、そうして生きていると思います。ですが、基準として実際感謝することとは、何かをしてもらったものに対してではなく、目には見えないけど存在するすべてのことに感謝することだと私は思っています。

例えば、生きるためにお金が必要で、お金を生み出せる仕事というものは生きるためにしていることです。仕事がないと生きていけないのに、仕事があることを当たり前だと思っていませんか。

仕事があることが当たり前だと私は思わないほうがいいなと気づいたのは、高校卒業して一年したころです。勤めていた会社がある日の昼に、倒産、即日解雇となりました。その時のことは鮮明に覚えていますが、今後どうやって生きていけばいいんだ!と怒鳴る方もいました。今後の不安を募らせていく方、しょうがないと割り切る方、様々な考えをその瞬間理解し、感じました。あの瞬間、安定というものはないんだと肌で感じました。

その瞬間はしんどかったですが、もっとしんどかったのは、仕事がなくなっていく恐怖でした。まだその時知らなかった、倒産するなんて思いもよらなかった、でも、仕事が目に見えて少なくなっている事実だけはわかる。あのどうしようもない不安感は、あの時経験出来ていて本当に良かったと、心の底から思えます。

倒産するって、こんななんだと、そして私はクレジットカードがやっと使えた矢先だったので、借金したまま解雇。給料はその月未払い。(後日振り込まれましたが)お金がない!!ってなりましたね。親に肩代わりしてもらえたのが不幸中の幸いでした。

ここまで通して、仕事が降ってくるのは当たり前じゃない。自分でつかまないと、と考えるようになりました。

当たり前は、当たり前でないと自覚しなければ変わらない

世の中、当たり前だと思っていることは当たり前じゃないんだよと、教えてくれる人たちがいます。ですがそんな言葉に耳を傾ける現代人はそう多くないでしょう。

言っている人たちもわかっています。経験こそ、真なる理解だと。

でも、それでも言うんです。後悔してほしくないから。

当たり前を当たり前だと思っているといつか痛い目を見る。それは、学生の時、いつも家に帰ればご飯が用意されていることもそう。彼女が可愛くおめかしして、会ってくれることもそう。

まとめ

私たちが見えていないことすべてにおいて、当たり前だと思わないほうがいい。

その裏には緻密な歯車が備わっている。それがひとつ、ふたつと欠けていくと、いずれ回らなくなる。そこでやっと、あれがダメだった、これがいけなかったと、嘆いても遅いんです。

今起きていることに感謝を忘れず、他人の関与もすべてみな等しく感謝を持って、接していく必要があると、私は思います。

感謝というものは誰かに言われてするものではない。その人が必要と思うときに感謝をするべきだ。それが相手から非難されようとも、その人が正しいと思っているのであれば、それは正しいことなんだ。と私は考えて今を生きています。

でも日本は法律国家なんで、法律はしっかり厳守しましょうね。

最近思うことがありますが、メンタル鬼強の人って、我が強えなぁと感じております。だから生き残れるんだぁって、勝手に思ってますw

僕はメンタル弱いほうなんで羨ましいなあって、、、あんま思わないっすね

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